第70回埼玉県若い失語症者のつどい
こんにちは!
本日、これを書いている日(2月5日)は、おとなり中国では、春節(しゅんせつ)
と言いまして旧暦のお正月という事ですね。ちょうど、日本でいうと立春のころになります。
まだまだ寒い日は続きますが、ようやく春のおとずれを感じますよね。
春と言えば、卒業とか別の部署に移動などがありますが、そのかわりに新たな出会いなども
あるかもしれませんね。この埼玉県若い失語症者のつどいも、第70回をむかえ、第100回、第1000回・・・と
発展していくことを望んでいます。それには、みなさん1人1人のチカラが必要になってきます。
是非、みなさんとともに進んで行けたらうれしいです。埼玉県や他の地域で、
・1人で悩んでいる失語症の方
・一歩ふみだしたい。けど、なかなか行動にうつせない方
・言葉がしゃべれないからと言って落ち込んでいる方
・1日は無理だけど何とか午前中までだったら行ける方・・・など、どんなことでもかまいませんよ~。
あなたの「その1歩」がみんなにパワーとエネルギーをあたえてくれます。
是非、埼玉県若い失語症者のつどいに足を運んでみてくださいね!
心より、おまちしております!
それでは、また3月17日(日)に元気なあなたを待っていますよ~(^O^)
埼玉県若い失語症者のつどい
平成31年2月 会長・志村 高広
第38回埼玉県ミドル失語症者の会
電車の中で、私は座っていると、スマホや本、雑誌などを見たりするのが普通ですが、立っている場合は違います。右半身麻痺で、左手はつり革を持っていて、右手はなんの役にも立たないという感じで、モノを持てないです。そのため、中吊り広告を見たり、最新電車の中で、テレビ広告を見たり、まさしく活字中毒です。
この朝だけは、早い時間で予定が入っていることになり、立っていく事になりました。その満員電車の中で、こんな窓上広告を見つけました。N塾の広告でこんな文章です。
『自分たちとは、ちがうくらしをしている人たちの存在を知ったその瞬間から、遠い国のその人たちは、もうわたしたちの見知らぬ人ではありません。それ以前には、なにひとつ知らなかった相手であったとしても、その人たちが同じ地球上で、同じ時を生きていることを知った瞬間から、自分とつながりのある存在として、その人たちをもう無視して過ごすことはできない。ほんとうはそうであるべきなのです。「知る」ということは、じつはこんなに重い意味を持っているのです。知ったからには、知ったことに対して責任が生まれます。なんらかの働きかけも求められるのです。』
これは、「十歳のきみへ-九十五歳のわたしから」。作家は日野原重明さん。あの元・聖路加国際病院院長で、2017年、満105歳で亡くなりました。子供のために書いた文章ですが、大人もこれにそっていかなければいけないような気がしてなりません。「世間を知る」という事は、「重い責任」と書いています。そして、「なんらかの働きかけ」もしないといけない。私は、雷に打たれたように感じました。
私の情報はニュースやインターネットから、取り込みます。ですが、「なんらかの働きかけ」はしていなかったです。例えば、自国第一主義や貿易摩擦、核問題、戦争、それから経済の景気、オリンピック・パラリンピックの問題、それからLGBT、セクシュアル・マイノリティや障害者の問題など次々と情報は入ってきます。ですが「働きかけ」は出来なかったように思います。
例をあげると、私たちが持っている「失語症」。確かに、「失語症」はあまり知られていないことがほとんどです。ですが、他の障害者の問題も知りつつ、責任を果たす義務が生まれてくるのです。これは反省です。もちろん、「失語症」の事もアピールしていかないといけない、と同時に他の障害者の事、環境や気持ちなどを【知っておく】必要があるのだなあと思います。
埼玉県ミドル失語症者の会
平成31年2月 会長・友井規幸