第44回埼玉県若い&第12回ミドル失語症者のつどい

失語症者とおしゃべりすると、たぶん、健常者だった頃は、多弁で、賑やかで、世話好きで、計画通りな人で、いざ、となると良い開き直りが出来る人で、飲むとみんなの輪の中で楽しんでいる人、そんな人が多いような気がします。なのに、なんという事か、病、そう失語症は、言葉も、筆記も、理解も、計算も、失ってしまうのです。

先日、ジャズを聞きに行ってきた時のことです。登場人物はMさん。彼は失語症で、約75歳位の年齢で、家から近く、奥さんと一緒に来ていました。

みんなでジャズを楽しそうに聞いていました。そして、ジャズが終わって、Mさんは無言(失語症ですが)で、店を出ていって、さっさと歩くのです。私も店を出ました。どこへ行くのかなあと思っていると、どうやら、私の帰り道と同じ方向へ、歩いていく訳です。私に、「こっち・・・」というジェスチャーで指示してくれています。なんとエレベーターがあるじゃないですか。私が不自由な足で階段を昇るのはかわいそうというように、エレベーターを勧めてくれたのです。あとは、人にぶつからない様に用心してくれたりしました。

実は、私の帰り道の案内をしてくれたようです。Mさんは、笑って「じゃーねー」という言葉で別れを・・・。電車に乗りながら、涙が出てきて止まりませんでした。涙した理由は2個あります。まず感激したのです。もう一つは、Mさんの「気づき」の点です。私は「道案内」だと理解しましたが、一般人では解ってくれません。でも、Mさんは、解ってくれなくても、一生懸命そのことだけしようとしてくれました。

失語症者は、思惑はあるんです。言葉は出ないけど、注意深く見てあげて下さい。そうです。「多弁で・・・」という所が欠けているのです。あとは、「賑やかで、世話好きで、計画通りな人で、いざ、となると良い開き直りが出来る人で、飲むとみんなの輪の中で楽しんでいる人」と。何も変わっていないのですよ。

失語症のみなさんは、Mさんの「道案内」ように、「気づき」はあるのではないですか。いや、絶対あるはずなんです。たとえば、「配膳」。普通の人なら「店員さん。予約は10席で取ってあります。そのうち1席は、まだ配膳がされていません」と言えます。失語症者は、その言葉を言えません。実際は、黙っているしかないんですよ。悲しい事です。解っていても、誰かが言葉にするまで、失語症者は待っているしかないんですよ。みなさんは解ってくれますか?


埼玉県若い&ミドル失語症者のつどい
平成25年11月 友井規幸