第37回埼玉県若い失語症者のつどい
~はじめの一歩〜
田舎へ帰った時、最近良く耳にするのが、訃報の話しです。私の場合、両親から聞くことが多いのですが・・・。
友たちの父親や母親、近くの叔父さんや叔母さん、また、保育園の先生、学校の先生など、亡くなったということを、後から聞くんです。親戚の場合は、お通夜・葬式などにも出ているんですが、周りの方は、それを知らない事が多いのです。
思えば、子供の頃、叔父さんは「ホームラン、よう打ったな!」叔母さんは「早く家に帰りなさいね~」。先生は、修学旅行の時「はよう、寝んか!!」。笑顔や怒った顔など、様々な表情をしてくれたなあ。もうそれが、見られないかと思うとせつないというか、本当に悲しい気持ちです。
あの当時の、元気な、若々しい姿を知っているから。しかし、年をとってからの姿は知らないです。(想像の中で、若々しい)先生は、私が失語症と右半身麻痺になったと知らないまま、亡くなりました。一度、会って「脳梗塞になってしまったんですよ」と言っておきたかったなあと。
失語症者になっても、先生や叔父さん、叔母さんを思う「心」は変わっていません。言葉は不自由ですけれどもね。
同時に、大人として、子供たちにどう写っているんだろうか?しかも、障害者、失語症をかかえた者として、どうなのかなあと思います。例えば子供に「おはようございます」「さようなら」という風な挨拶や会話が、出来ているのだろうか?どうすればいいのか悩んでしまいます。是非が問われているような感じが怖いです。
失語症者の皆さん、初めて会うわけじゃないですから、叔父さん、叔母さん、学校の先生などには、会いに行って下さいよ。そう言っている私も、行けてない自分がいます。会った人に、どういう風に思うかなと想像します。でも、勇気をもって行きましょう。そして、大人として良い思い出を子供たちに残していきましょう。
埼玉県若い失語症者のつどい〜はじめの一歩〜
平成23年12月 友井規幸