第28回埼玉県若い失語症者のつどい
〜はじめの一歩〜


脳梗塞の後遺症で、右半身麻痺と失語症になってから、言葉の「意味」がガラリと変りました。

たとえば、「感謝」。

失語症者は、感謝する事はあっても、感謝される事は滅多にない事です。
例を挙げると、親切心で誰かを助けたいと思っても、重い荷物を運んでいる人も、道に迷っている人も、酔っ払っている人を助けるのも、全然、ダメです。
右半身麻痺で、身体が動いてくれない。言葉でも、ぜんぜんダメ・・・。
声を出しても、上手く言葉にならないのです。
ひどい孤独感に襲われてしまいます。
困っている人の隣に行って、誰かに「た・す・け・て・く・だ・さ・い・・・」と言うのは出来るけど・・・。
とにかく、何のとり得のない私は「感謝される事」に対して、いったい何が出来るのだろうかと思ってしまいます。


たとえば、「協力」。

失語症者は、単独で行動する事が多いのではないでしょうか。
もちろん、リハビリは、自分の為に各先生に教えてもらう事が必要ですが、それ以外は、黙ってする事が多いと思います。
誰かに言われたら、進んで協力はします。
でも、「自分が声をかける」っていう事が出来ないからです。
友人や妻などに協力を頼んでも、相手が納得するまで、時間が必要です。
そういう事もあり、失語症者は、面倒くさいと話をしたがらない事が良くあります。
私はそうです。「うるさいなあ」と言われてしまうじゃないかと思って、一人で行動するのです。
元気な頃は、喋っていたのに悔しいです。


たとえば、「指導」。

失語症者は、暴力や差別などをしている時には「そ・れ・は・い・け・な・い」というと思います。
理由は、明確だから。
そうではなくって、生活の中で、たとえば、寄せ箸や迷い箸をすると、失語症者は「それはいけないよ」というと思いますが、理由を聞かれても上手く言葉がでてこないので、わけ分からん事を言うのが落ちです。
難しいですね。「しきたり」や「習慣」などは、そうですよね。
あとは、子供の学習や運動にも同じ事がいえます。


「意味」は、あまりにも違ってくるんで、皆さんは、どうしてしていますか?

第28回埼玉県若い失語症者のつどいは、5月16日にあります。

埼玉県若い失語症者のつどい〜はじめの一歩〜
平成21年4月 会長・友井規幸