第5回埼玉県ミドル失語症者の会
W.Yさんの失語症体験記

W.Yさんは、脳梗塞になって約1年3ヶ月。さあ、失語症体験記を読んでください。
1.入院まで
 あれは、一昨年の11月15日のことでした。朝、家を出て会社に向かう通勤電車のなかで、気分が悪くなって途中駅で降りてしまいました。タクシーを捜したのですが見つかりません。電車に乗って家に帰ろうとしてホームで待っている時に、突然手足が痺れて、そのまま倒れてしまったのです。乗客の人が駅員に知らせてくれ、救急車で「○○病院」に搬送されました。

 自分では意識もありましたが、何が起こっているのか分かりませんでした。医者から「脳梗塞の疑いがある」と言われ、私は驚くとともに「入院しなきゃいけないのか、入院すると何週間かかるのか」と医者に尋ねました。医者は「4週間ぐらい」と事もなげに言いました。点滴を打って病室に運ばれました。会社には携帯電話で連絡をしました。その時は声も、はっきりと出ていました。失語症になるなんて思ってもいませんでした。

 その日の内に、脳のMRI(磁気共鳴画像)、MRA(血管画像)を撮りました。その結果、脳梗塞だという事が分かりました。夕方になって声が出てきません。一体何が起きているのか、その時は分かりませんでした。


2.病室で
 翌日、尿道に針を刺され、尿は袋の中に溜まるようになっていました。初めてのことで、そんなこととは知らず、尿意をもようし、看護師に言おうとしたら声が出ずに「オオオ」と叫んでいました。看護師はどうしていいのか分からずに、困り果てていました。私はようやくそれに気づき、トイレは必要ないということが分かりました。初めての体験ばかりで、声が出ないということがもどかしく思ったものです。

 数日後、改めて脳の精密検査をしました。カテーテルという、腰のところに小さな穴を開けて血管を調べる検査です。心臓の血管は大丈夫でした。ただ、脳に通じる頚動脈の血栓が詰まっている事が判明しました。私には意外なことでした。と言うのは、2週間前に人間ドックや脳ドックを受けたばかりで、その時は何も異常は無かったからです。信じる事が出来ませんでした。後になって分かったことですが、脳ドックを受けた時に頚動脈の超音波検査を受けていたら事前に分かっていたのではないか?この時脳ドックは、オプションとして設定されていたからです。悔やんでも仕方ないことですが。

 1週間が立って、ようやく尿道の針からも解放され、病院のリハビリ室でリハビリを受けることになりました。順調に行っているかに見えました。


3.頭痛と発熱が襲う
 リハビリを受けた翌日、私は突然の頭痛と発熱に襲われました。熱は39度を超え、ズキンズキンする痛みで耐えられませんでした。インフルエンザではなく、扁桃腺炎でもありませんでした。血液検査で白血球が異常に増えていることが分かりました。原因は不明です。抗生物質の点滴を受け、座薬で痛みを抑えました。座薬は2時間を持たずに頭痛がひどくなり、看護師に言って座薬をもっとくれとお願いしました。看護師は6時間経たないと駄目だと言っていました。

 尿道に針を刺すのも、再び始まりました。頭痛と発熱は1週間続きました。私は、今でも院内感染だろうと疑っています。そんなことは医者にも看護師にも言えません。その結果、リハビリは遅れ、退院も遅れることになったのです。


4.退院するまで
 1週間後、再びリハビリが始まりました。手足の痺れは早い段階で治まりました。病院の廊下や階段を、通常の速さで歩くことが出来るようになりました。ただ、失語症はまだ残っていました。しゃべることも、文字を書くことも出来ません。本は読めるのですが、それを書き写そうとするとうまくいかないのです。自分の名前さえ書けないのです。まるで文字が図形のように見えました。

 「○○病院」には言語聴覚士はいません。理学療法士が失語症のリハビリを兼ねてやっています。絵を見て、それを言葉に出して言うところまで行くのが精一杯でした。私は、思ったことが言えず、妻に当り散らしていました。自分で、私の頭がおかしいと思ったこともありました。

 「○○病院」で退院後のリハビリについて相談したところ、「柏リハビリテーション病院」を紹介され、そこに行くことになりました。当初予定だったのが大幅に遅れて、昨年の1月8日に退院しました。


5.初期リハビリの日々
 昨年の1月11日に「柏リハビリテーション病院」で失語症のリハビリが始まりました。今度は言語聴覚士によるリハビリです。週3回のリハビリが始まりました。初めは簡単なテストがあり、それから自分に合った方法でリハビリがスタートしました。

 最初は絵を見て、それを言葉に出して言うことと、文字で書いたりしました。それから、漢字のドリルと助詞の穴埋め問題に取り組みました。家でも、小学4年生から中学3年生までの漢字ドリルと、朝日新聞のコラムや「声」欄の音読をやっていました。3月に入ると、セリフのない4コマ漫画の説明をする練習へと進んでいきました。この練習には、根本進さんの「クリちゃん」が使われました。童謡の歌も歌いました。ニュースのトピックを要約して、A4版1枚のレポートにまとめるという宿題も出されました。

 昨年の3月までは順調に行き、読むことと書くことは、遅いながらも出来るようになりました。この調子でいけば、半年もすれば会社にも出勤できると思っていました。まだ、失語症を簡単なものだと考えていました。


6.脳梗塞、失語症について勉強する
 その頃から、脳梗塞、失語症に関する本や雑誌、新聞記事等を読んでいました。脳梗塞という病気は、もっと年をとってからなる疾病だと思っていました。失語症など言葉さえも知らなかったです。

 脳梗塞の本では、私の脳梗塞は「アテローム血栓性梗塞」であること、脳の左大脳半球にある言語野が損傷されていることが分かりました。発症後3時間以内であれば、t−PA(アルテプラーゼ、血栓溶解薬)を投与して血流を回復させる方法もあることも分かりました。どうしてこの方法が取れなかったのか。現在のところ、治療を受けられる医療機関は一部に限られているそうです。脳梗塞の再発率は、10年以内に49.7%と非常に多いそうです。再発防止のための治療は、基本的に一生続く事になります。

 失語症の本では、『失語症のすべてがわかる本』(講談社)は、失語症の基本的な知識がイラスト付きで分かり易くなっています。『脳が言葉を取り戻すとき』(NHKブックス)によると、全国の失語症者の数は33万人にものぼると言います(2011年10月4日の日経新聞は50万人と伝えています)。この本は、失語症にも様々な種類があること、失語症患者の症例などが詳しく載っています。私の場合は「構音失行(発語失行)」で、「構音失行の回復はある程度可能である。前頭葉に病巣の限局した失語症の場合は、たどたどしく見るからに話しづらそうではあっても、言葉を思い出したり、文章を聞いたり読んだりすることの障害は回復が良好なのである」。

 『失語症者、言語聴覚士になる』(雲母書房)は、交通事故で脳の障害を受けた人が失語症になって悩んだこと、大変な努力によって言語聴覚士になるまでの奮闘が書かれています。「言葉の障害はあるけれど、私は良い人生を送っていますよ」。


7.リハビリに悩む
 リハビリを始めて6ヶ月が過ぎた頃、私は行き詰まっていました。回復が芳しくなく、焦り始めていました。「こんな筈ではなかった」という思いで一杯でした。「会社には出ないといけない。でも、こんな状態では迷惑が掛かる。一生懸命リハビリに励んでいるのに、これはどうした事だ。私の失語症は治らないのか。急に人と会って、挨拶をしようにも挨拶ができない。音読も簡単な言葉が出にくい。頭は正常なのに、声に出して言うことが出来ない。これでは復職は無理だ」。

 ストレスが溜まり、些細なことに腹を立て、妻に当っていました。今でもそんな事があります。失語症はそんな生易しいものではありませんでした。


8.今の気持ち
 脳梗塞が発症して1年3ヶ月が経ちました。一昨年11月15日、私の人生は一変しました。失望し、投げやりになった事もあります。悔しい思いもたくさんしてきました。それまで見えてこなかった人間関係も今、分かったように思います。でも、終わったことを、いつまでも振り返るわけにもいきません。自分の運命を受け入れ、悔いが無いように日々を過ごしていかなければならないと考えています。

 会社は、今年1月27日に退職しました。失語症も、徐々にではありますが回復しています。元の会社の同僚が、会う度に「以前よりも良くなっている」と言ってくれるので、自分では気づかないけれど回復していることは本当でしょう。発症前まで回復するのは無理にしても、諦めないで、根気よくリハビリを続けたいと思っています。

 最近になって、「失語症友の会」にも参加しました。失語症は、一般の人には知られていません。「友の会」であった人は、それを共有できる人達です。失語症になると、外出の機会が著しく減ります。人と会う事が億劫になってしまうからです。私は、それじゃいけないと思って外出する機会を多く取っています。幸い、元の会社の同僚達が誘ってくれるのです。

 最近、五木寛之さんとか瀬戸内寂聴さんの本を読んでいます。心が癒されるからです。例えば、五木寛之さんの一文から。
 「人生の目的の第一歩は、生きること、である。何のために、という答えは、あとからついてくるだろう。運命と宿命を知り、それを受容して、なお生きること。それこそが『人生の目的』ではないか。」(『人生の目的』)

 「思うとおりにならないもの、というのが私の人生に対する見方である。そして、そのことをはっきりと認め、目をそらさずに直視することからしか人は行動できないのではないか。運命に身をまかせる気はない。しかし、運命に逆らうこともできない。そこでできることは、ありのままの自分の運命を『明らかに極める』ことだけだ。自分の運命をみつめ、その流れをみきわめ、それを受け入れる覚悟をきめることである。」(『人間の運命』)

(2012年2月20日記す)

〜2012年3月17日(土)第5回埼玉県ミドル失語症者の会